食べ物に困ったら、宗教団体は助けてくれるのか?その2

前回、食べ物に困ったら宗教団体は助けてくれるのか、調査した。仏教系の団体は、まず助けてくれない。助けてくれると回答したのは、プロテスタント系団体の救世軍とイスラム教だった。

その後、さらに大阪府富田林市に本部があるPL教団(パーフェクト リバティー教団)と、神奈川県海老名市に本部があるエホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)に、食べ物に困ったら助けてくれるのか確認をしてみた。

PL教団は、話しを聞いてくれるものの、食糧の支援をするなどの助けはできないという。信者が食べ物に困って施設を訪れた場合の対応についても同じで、信仰の有無に関わらず助けないという。もしかしたら、信者が個人的に助けることがあるかもしれないが、それは個人の好意であり、組織として助けることはないという。

PL教団では「困った人に対して親切にするよう教義で教えているようだが、そういう困った人が目の前にあらわれても何もしないというのは、どのように受け止めればいいのか?」尋ねてみた。すると「教義ではそう教えていても、組織的な対応はしていないんですよね」と答えるにとどまった。信者も同様の取り扱いがなされるという。

信仰と行動が不一致なのは、なにもPL教団に限った話ではないのだが、組織が必要とするときには信者に寄付など助けを求める一方で、信者が必要とする状況になったら、組織はその信者を一切助けないこの状況を、どのように理解すればいいのだろうか?

エホバの証人について、この団体も話は聞いてくれるのだが、回等はPL教団と同じだ。目の前に飢えて困った人が、本部や全国各地にある集会所にあらわれたとしても助けないという。「汝、隣人を愛せよ」という言葉があるそうで、信者が個人的に困った人を助けることがあるかもしれないが、それはあくまでも個人の好意で、組織的として助けることはしていないという。食べ物に困った人は、彼らの隣人とはみなされず、彼らの愛をもらえる対象とはならないようだ。信者が食べ物に困った場合でも同様に助けてはもらえないということだ。

エホバの証人は、東日本大震災や熊本地震のとき、自衛隊より早く、他の団体よりも一番に現場にかけつけ食料を配るなどの支援を行い、定評があるという話をしてくれた。そういった食料支援をエホバの証人が行っているのは分かったが、通常の社会環境の中で、目の前に食べ物に困った人があらわれても、なぜ彼らは助けようとしないのだろうか? 被災した人たちの食料支援も大事だが、それ以上に大事なのが、日常的に食べ物に困っている人に対する日々の支援なのではないか?

「その食べ物に困っている方は、聖書を勉強していただくことはできますか? それなら食べ物を差し上げることができるかもしれません」と最後にいわれた。「それは、空腹を満たす代償として、エホバの証人になれということですか?」と聞くと、「そうです」という。「その食べ物に困っている方は、聖書を勉強したいとは考えていないと思います。あなたの神様は、困っている人に対し、信仰を条件に食べ物を与えるような取引をする神様なのですか?」と尋ねると、「そうでないと、食べ物をお渡しすることはできません」という。

信仰というのは、それがいいと思い、自らの良心に従い信じるもので、何かの条件をつけられて信仰するものでも、ましてや食べ物と引き換えるものでもないと思う。相手が食べ物に困っているからといって、その弱みにつけ込み、食べ物との交換を条件に信仰をせまる考え方は、好きになれない。エホバの証人が東日本大震災や熊本地震のときに食糧支援を行ったのは、困っている人を助けたいとの純粋な信仰心からではなく、新しい信者を獲得するツールとしての食糧援助だったのだろうか?

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